西川公介の平成30年史 ~こそ勉期~

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こんにちは。

R-FORCE西川です。

平成も30年、今日からわたくしの歩んできた平成を真剣に、より真剣に書いていこうと思います。

第1回目の今日は中1から中3までの『こそ勉期』をお贈りします。

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平成元年(中学1年13歳)

東京都大島町立波浮小学校を首席で卒業

東京都大島町立第三中学校ドラフト1位入団

昭和から平成に移ったこの年、わたくしは中学1年生になったのです。

悪童で名を馳せた小学校時代を恥じ、勉学に励むようになります。しかしキャラクター上、まじめに授業を受けたり塾などに通うことはできません。

そこで決行したのが「こそ勉」

来る日も来る日もこそ勉を重ね、ついには学年3から4位という成績を納め始めるのです。体育は得意中の得意、総合すると2位なんてこともありました。

これを同級生(悪友)が見逃すわけがない(笑)

お前は本当にきたない!ずるい!という、これ以上ない褒め言葉をいただく事態となります。

平成2年(中学2年14歳)

きました!中2!!

未だ中2病疑惑が消えないわたくしの本気の中2。爆発も爆発。大暴れでございます。

まず、学校まで歩いて行くのが面倒になり、漁港を全裸で横断し登校するという、ノーベル賞レベルの行動を起こします。着替えは頭の上におき、ヘッドアップの平泳ぎです。漁師は激怒、両親は爆笑!

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写真は実際に横断していた漁港、波浮港です。

泳ぐだけでは飽き足りず、崖を上る、飛び降りるなど登下校はまさに命がけの毎日でした。

休日は自作の船で隣の島、利島へ行こうとしここでも漁師にこっぴどく怒られる。

中学になると解禁となる子供だけのボーリングに明け暮れ、夏はサザエ、アサリ、トコブシ、しったか、めっかりを密漁→勝手にバーベキュー。

鯵や鯖を釣ればその場で捌いてから家に持ち帰るという孝行息子(笑)ポケットにはなぜかロケット花火を常備。

親父には毎日殴られ、兄貴からは”かわいがり”。もう、暴れるしかない状況でした。兄貴の原付にちょっと跨り、ツーリング。駐在のお巡りさんに捕まり、「国際永久無免許」という輝かしい免許証をいただいたこともあります。

そんなわたくし、ここでもしつこくこそ勉を続けます。そして部活動でもそこそこ活躍し、ちょっとした有名人にもなっていたとかいないとか…。

平成3年(中学3年15歳)

中3です。所謂最上級生。

部活ではキャプテンを任されるも自分のことで精一杯。まとめるとか皆無のわたくしは、後の同窓会であのときのキャプテンはだれだったんだ?と本気で言われる始末。

この年は恋だってしちゃいました♡彼女もできちゃいました♡♡砂利道を手つないで帰りました♡♡♡ゴシップ大好きの西川家ではいじり倒され、本気で親父をぶっ飛ばそうかと思いました。が、返り討ちにあうのは間違いないのでゴルフシューズに画鋲を入れてやりました。

この話題は恥ずかしいからこの辺で。

受験シーズンに入っても留まることを知らないこそ勉野郎は、なんとなんと花の都大東京に一人、夏季講習なるものを受けに来てしまうのです。

もちろん、旅行という体で。

卒業時には体育優良生徒というなんともアホッぽい賞も受賞。

そんなこんなで、こそ勉野郎も島から一人東京の高校へ進学することが決定。このとき、こそ勉野郎の学力はついにMax!なんと高校入試を1位でパスし、新入生代表の挨拶をするという大快挙を成し遂げるのです。いや、嘘じゃないって。

東京は世田谷、下北沢の寮で下宿、千歳船橋にある千歳丘高校へ通い始めるのです。

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そこで担任に言われた一言。

「新入生代表の挨拶をしたやつが、3年後には…ってことがたくさんあるから気をつけろよ」

さてこの言葉、3年後のわたくし、気になりますよね。

続きは次回、『世田谷の大島人』にて。

西川公介の平成30年史、第1回はここまで。まったく興味のない皆様、最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回、爆笑の下北生活にご期待ください。

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